えいわ一首一景
A面 本歌 石見の高角山
B面 翻歌 石見の高角山
0:000:00
SIDE A本歌もとうた

石見のや 高角山の 木の際より 我が振る袖を 妹見つらむか

柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)万葉集 巻二・一三二島根・江津市・高角山公園(島の星山)。比定地は諸説。翻歌は益田市の島根県立万葉公園も対象 秋(要確認。仮置き)/朝

都へ上る朝、石見の山道。 何度も振り返り、木の間から 残してきた妻へ袖を振る。 届いたかは分からない。 それでも振る、 柿本人麻呂の別れの歌。

VERSE山道を登って 何度も振り返る 木の間に 里が遠くなる 朝の光に 袖を振る きみは今 見ているだろうかCHORUS 原歌石見のや 高角山の 木の際より我が振る袖を 妹見つらむか

SIDE B翻歌ほんか

転勤で石見を離れる朝、

高角山公園に登った彼。 千三百年前ここで妻へ袖を振った 人麻呂の像のそばでまちへ手を振る。 彼女は見ているだろうか。

VERSE星の名を持つ 山の公園 袖を掲げた 人麻呂の銅像 柵の向こうに 日本海 ぼくも手を振る きみは見てるかCHORUS 原歌石見のや 高角山の 木の際より我が振る袖を 妹見つらむか

仮説 v1高角山の比定地と季節には諸説があり、初秋の朝、という本作の仮説

届いたかは分からない。それでも袖を振る。柿本人麻呂「石見のや高角山の」

石見いわみのや 高角山たかつのやまの 木の際まより 我わが振る袖を 妹いも見つらむか

柿本人麻呂かきのもとのひとまろ(万葉集 巻二・一三二)

この歌のこと

石見いわみは、今の島根県の西のほうです。歌の意味は、たぶんこうです。石見の、この高角山たかつのやまの木々のあいだから、私が振っている袖を、妻は見ただろうか。「石見のや」の「や」は、「石見のなあ」と土地に呼びかけるような、詠嘆えいたんの言葉だそうです。

「妹いも」は、男の人が親しい女性を呼ぶ言葉で、ここでは妻のことです。「見つらむか」は、少し分解して読みます。見る、の「見」に、「つ」と「らむ」と「か」が付いている。「らむ」は、目の前にいない人の様子を今ごろこうだろうと推おし量はかる言い方で、「か」は疑問です。「つ」は完了の助動詞とする説明が一般的ですが、強意とする解説もあって、少し幅があるようです。どちらにしても、今ごろ見ているだろうか、と遠くの人を思いやる歌だと思います。

場面は、石見から都へ上る旅の途中です。山道を登りながら、何度も振り返り、木々の隙間から、残してきた妻の里のほうへ袖を振っている。作者の柿本人麻呂かきのもとのひとまろは、持統じとう・文武もんむの時代の歌人です。宮廷歌人と呼ばれることが多いのですが、そういう職があったかどうかも含めて、具体的な官職は分かっていません。石見で何をしていたのかを書いた確かな史料も、調べた範囲では見当たりませんでした。

絵は、この場面を描いています。光は、先に決めました。別れの歌ですが、切なさだけで暗くはしたくない、と思ったので、初秋の朝の木漏れ日にしました。淡い金と若草の色で、遠くの海は銀青。里は霞の向こうに、小さく置いています。

本歌(A面)の象徴画像。朝の山道で、長い袖の衣を着た官人が後ろ姿で長い袖を高く振っている。木々の向こうに霞と小さな里、河口、光る海が見え、道の奥には従者と荷馬が小さく見える 本歌(A面)の象徴画像。淡く色づき始めた木々と木漏れ日。振り返る官人は後ろ姿で、小さく描いています(生成AI・Codex image_genで制作)

じつは、季節は歌のどこにも書かれていません。絵の初秋は、私たちがそう決めた仮説です。

長い歌と、二首の反歌

この歌は、一首だけで置かれているのではありません。万葉集の巻二で、131番の長い歌(長歌ちょうか)のあとに、反歌はんかとして二首が付いていて、その一首目が132番です。

長歌のほうは、「石見の海 角つのの浦廻うらみを…」と始まります。石見で妻と寄り添って暮らした日々を詠み、都へ向かう道で「この道の八十隈やそくまごとに万よろずたびかへりみすれど」、つまり曲がり角のたびに何度も振り返るけれど、里はどんどん遠くなる、と続きます。最後は、「靡なびけこの山」。この山よ、妻の家の門が見えるように、なびいてくれ、と山に頼んで終わります。132番は、この長い歌の中の一場面に、焦点を絞った歌と読めます。

二首目の133番は、「笹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば」。笹の葉が山全体をざわめかせるほど鳴っているけれど、私はただ妻を思っている、別れて来たので。132番が「袖を見ただろうか」という目の場面なら、こちらは山の音の中の、静かな内面の歌です。目の歌と、耳の歌が並んでいるって、面白いな、と思いました。

もう一つ、同じ巻二には「或本歌あるほんのうた」という、別の伝えが載っています。そこでは132番とほぼ同じ歌が、「石見の海 打歌うつたの山の木の間より」と、初句と地名が変わって出てきます(139番)。打歌の山がどこなのかは、分からないままです。さらに140番には、妻の依羅娘子よさみのおとめの歌が置かれています。「な思ひと君は言へども逢はむ時何時と知りてかわが恋ひずあらむ」。心配するなとあなたは言うけれど、いつ会えるか分かるはずもなく、恋しくないわけがない、という意味です。振る側の歌のあとに、振られる側の歌が、ちゃんと置いてあります。

袖を振るということ

袖を振る、というのは、今の感覚だと手を振るのと同じようにも思えます。でも万葉の時代の袖を振る動作は、もう少し重い意味があったようです。相手の魂を呼びよせる、あるいは思いを伝える合図、と説明されることが多いです。

分かりやすい例が、巻一の20番、額田王ぬかたのおおきみの歌です。「あかねさす紫野むらさきの行き標野しめの行き野守のもりは見ずや君が袖振る」。紫草の野を行き来しながら、そんなに袖を振って、野の番人に見られないでしょうか、という歌です。こちらは、袖を振られた側の額田王が詠んでいます。

132番は、これと逆です。振る側の歌です。額田王の歌では、袖を振る人の姿は、見られる側から描かれていました。人麻呂の歌では、振っている本人が、見えているかどうか分からない相手のほうを向いている。見えたかどうかを、確かめる手立てはありません。それでも振っている。袖を振ることが相手を呼ぶためのものだったなら、見えるかどうかは、少し別の話だったのかもしれません。

高角山は、どこにあるのか

高角山がどの山なのか、実は決まっていません。江津ごうつ市の島しまの星山ほしやま(標高470.1メートル)とする説があって、江津市観光協会はこちらを採っています。一方で、益田ますだ市高津たかつの山、柿本かきのもと神社の裏山あたりとする説もあって、並立しています。石見の山の総称とする見方もあるそうです。

季節も、決まっていません。132番にも長歌の131番にも、季節を決められる言葉は出てきません。131番に「露霜つゆしもの置きてし来れば」という句がありますが、「露霜の」は「置く」を引き出すための飾りの言葉で、意味は「(妻を)置いて来たので」です。露や霜の季節を言っているわけではないんですね。

実は、131番と同じ題のもとに、もう一首の長歌(135番)と、その反歌(137番)が並んでいて、そちらには黄葉が出てきます。137番の「秋山に落つる黄葉もみちば」です。ただ、これは132番そのものの言葉ではないので、132番の季節を決める証拠としては弱いと思います。

だから本作の「初秋の朝」は、あくまで私たちの仮説です。黄葉は「色づき始め」にとどめて、真っ赤な紅葉にはしませんでした。

人麻呂の最期の地についても、決着はついていません。「鴨山かもやまの岩根いわねしまける我をかもしらにと妹が待ちつつあるらむ」という歌(223番)が、辞世じせいの歌とされています。この鴨山がどこかについて、益田の沖にあったとされる鴨島だとする説、邑智郡おおちぐん(今の美郷町みさとちょう)の湯抱ゆがかいだとする説、浜田の亀山だとする説があります。そもそも、人麻呂が石見で亡くなったこと自体を疑う見方もあるようです。益田の高津柿本神社は、鴨島が沈んだときに流された神像が対岸に漂着したことに由来すると伝わっています。伝説として、そう言われている、という話です。

翻歌を作るときに考えたこと

ここで、盤を裏返してみてください。B面、翻歌です。

一首一景では、一つの歌を一枚のレコードのように、表と裏の二曲にしています。表(A面)は原歌の世界に寄せた「本歌もとうた」、裏(B面)は歌の芯を同じ場所の今へ翻してつくる「翻歌ほんか」です。

この歌は、選歌マップの「中国地方」の枠で選んだ歌でした。翻歌は、単身赴任の見送りのような場面を思い浮かべていて、曲の候補はアコースティック、J-rockバラード、メロウなヒップホップの三つでした。結果は、転勤で石見を離れる朝の彼と、J-rockバラードです。

歌詞は、先に作っておいた「今も残る接点の表」に書いた事実だけで書くことにしました。#00のときに学んだことです。確かめていない現代の場所を書くと、そこを歩く人にとっては、その瞬間に歌が嘘になる。

たとえば、江津の高角山公園の最寄り駅からの徒歩分数は、調べた江津市と観光協会のページには書かれていませんでした。書かれていない以上、駅の名前も分数も、歌詞には入れませんでした。入れたのは、接点の表で確かめられた三つの景色です。

星の名を持つ 山の公園
袖を掲げた 人麻呂の銅像
柵の向こうに 日本海
ぼくも手を振る きみは見てるか

島の星山は、874年に隕石いんせきが降ったと伝わることから、その名がついたそうです。そこで「島の星山」とは歌わずに、「星の名を持つ山」と言い換えました。公園には、袖を掲げるような姿勢の人麻呂の銅像と、依羅娘子の像があります。展望台には木の柵さくがあって、その向こうに日本海の水平線が広がっています。

一つ、歌い方で工夫したところがあります。「像(ぞう)」だけだと、耳で聞くと「象」と紛れてしまうので、「どうぞう(銅像)」にしました。

絵は、江津と益田の景色を一枚の風景にしませんでした。江津と益田は、直線でも約50キロ離れています。一枚の地続きの風景に描けば、遠近の嘘になってしまう。そこで、#00と同じように、余白で区切った三面のコラージュにしました。左が高角山公園の人麻呂像と依羅娘子像、右上が展望台の柵と日本海、右下が益田の島根県立万葉公園の歌碑です。

翻歌(B面)の象徴画像。余白で区切った3面のコラージュ。左は石積みの上に片腕を掲げる緑青の人麻呂像と、手前に依羅娘子像、砂利道にリュックの男性が後ろ姿で立つ。右上は松と木の柵の向こうに広がる日本海と沿岸の町。右下は芝生の白い自然石に、五行の縦書きで歌を刻んだ歌碑 翻歌(B面)の象徴画像。江津市観光協会としまね観光ナビの公式写真を参照して描きました。江津と益田は直線で約50キロ離れていて、三つの場所を並べたこの絵は編集です(生成AI・Codex image_genで制作)

右下の歌碑には、132番の歌が五行で刻まれています。画像生成AIは、文字を間違えやすいものです。この絵は拡大して一文字ずつ照合しましたが、一文字も違っていませんでした。

歌碑は「際」、字幕は「間」だった

この絵ができあがったあと、気づいたことがありました。絵の歌碑には「木の際より」と刻まれているのに、動画の字幕は「木の間より」だったんです。

調べてみると、万葉集の原文は「石見乃也高角山之木際従我振袖乎妹見都良武香」で、その中の「木際従このまより」の、「ま」にあたる字は「際」でした。読みは「間」でも「際」でも、どちらも「このまより」です。万葉百科(奈良県立万葉文化館)の訓読くんどくは「木の間より」。一方、江津の人丸ひとまる神社の歌碑も、益田の万葉公園の歌碑も、「木の際より」と刻んでいます。字幕は万葉百科の訓読に、絵は実物の歌碑に、それぞれ沿っていたことになります。

どちらが間違い、という話ではないと思います。そのうえで私が決めたのは、字幕を歌碑と同じ「木の際より」に揃えることでした。読みの「ま」は、ふりがなで添えています。

この記事の冒頭の歌も、盤の歌も、字幕と同じ「木の際より」に揃えています。

私がこの歌から受け取ったもの

翻歌の歌詞の最後は、「ぼくも手を振る きみは見てるか」です。人麻呂の銅像のそばで、現代の彼は、手を振っています。袖ではなく、手です。そこから、原歌のフックに戻ります。

この歌を作っていて、芯だと感じたのは、「見つらむか」でした。見たかどうかは、分からない。妻が見たとは、人麻呂は言っていません。見ただろうか、と問うているだけです。答えは歌の中にありません。

本歌の動画の解説には、こう書きました。「届いたかは分からない。それでも振る。」。翻歌の彼も、同じ形をしています。千三百年たっても、遠くの人に向かって手を振る形は、あまり変わっていないのかもしれません。

もう一つ、翻歌を作ってみて分かったのは、「現代の側は実在に足を置く」という約束事が、この歌では少し特別な意味を持つことでした。人麻呂が実際に立った山がどこか、本当のところは分かりません。でも、像の姿勢と、柵の向こうの海と、歌碑の五行は、今そこにあります。分からないことは分からないまま、確かめられる景色だけで書く。それが、この歌の「見つらむか」と、少し似ているような気がしています。

まだ分かっていないこと(教えてください)

考証は仮説として版を打って公開する、というのがこの企画のやり方です。今回、決められなかったことを書いておきます。

詳しい方がいらしたら、教えてください。次の版で直します。

出典

調査に使ったページです。読みや解釈は、できるだけ原文サイトや辞典で裏を取るようにしましたが、AIによる要約を経由しているものもあります。正確な引用が必要な方は原ページをご確認ください。

現地の写真は絵を描くための参照にだけ使い、この記事には載せていません。挿絵は、すべてこの企画のために生成AI(OpenAI Codex CLI 組み込みの画像生成)で制作したものです。楽曲は Suno v6、構成と編集は Claude Code を使っています。


えいわ|一首一景 #06 2026年10月 v2

えいわ一首一景
SIDE A 本歌
石見の高角山

企画編集:篠崎裕介(しのジャッキー) 生成AI使用:音楽 Suno v6/画像 Codex/編集 Claude Code
EIWA-006 v1
#えいわ一首一景