えいわ一首一景
A面 本歌 春過ぎて夏来にけらし
B面 返歌 春過ぎて夏来にけらし
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SIDE A本歌

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

持統天皇(じとうてんのう)小倉百人一首 第二番/万葉集 巻一・二八奈良・橿原市・天香久山(返歌は香久山の見える住宅地のベランダ) 初夏/朝

奈良、藤原の都。宮から東を見ると、香具山のふもとに白い布が干してある。 ああ、もう夏が来たんだ。そう気づいた朝の歌。

VERSE都の朝 東の山に 白い衣が 風に揺れてる 春は昨夜の 夢になって 夏の光が 目を覚ますCHORUS 原歌春過ぎて 夏来にけらし 白妙の衣ほすてふ 天の香具山

SIDE B返歌

白いシャツを干す朝。遠くの香具山は、千三百年前に持統天皇が同じ「夏が来た」を見つけた山。

VERSE衣替えの朝 まっしろなシャツ ベランダの風に ひろげたら 山が言ったの「もう夏だよ」 千三百年 おなじ空CHORUS 原歌春過ぎて 夏来にけらし 白妙の衣ほすてふ 天の香具山

仮説 v1白い衣は実際に干された栲の布、視点は藤原宮から東、朝の光、という本作の仮説

白い布が、夏を教えてくれた。持統天皇「春過ぎて夏来にけらし」

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山   持統天皇(小倉百人一首 第二番/万葉集 巻一・二八)

本歌(A面)の象徴画像。藤原宮の高殿から東を望むと、なだらかな香具山の麓に白い布が並んで風に揺れている 一首一景 #02 本歌(A面)の象徴画像(生成AI・Codex image_genで制作)

この歌のこと

百人一首の二番目に置かれている、たぶん誰もが一度は目にした歌です。私も子どものころ、かるたで「はるすぎて」と読み上げられたのを覚えています。ただ、意味をちゃんと考えたことはありませんでした。

歌の意味は、こういうことのようです。春が過ぎて、夏が来たらしい。真っ白な衣を干すという、あの天の香具山に。

作者の持統天皇は、天智天皇の娘で、天武天皇の皇后。夫の死後に自ら即位して、694年に藤原京へ都を移した人です。藤原京は、香具山・畝傍山・耳成山の大和三山に囲まれるように造られた都で、宮の中心から東を見ると、香具山が見えたはずだと言われています。この歌は、その眺めの中で詠まれたのではないか、というのが有力な見方です(ただし万葉集の歌に成立年の注記はなく、はっきりとは分かりません)。

香具山は、標高152メートルほどのなだらかな山です。今回、調べていて意外だったのはここでした。「天の」と付くから、私はもっと高く、とがった山を想像していたんです。実際は、丘と言ってもいいくらいの、やわらかい形の山。大和三山の中で唯一「天の」という尊称が付くのは、天から降ってきた山だという伝承があるからで、山の大きさとは関係がないようです。

万葉集の原歌と、百人一首の歌は少し違う

もう一つ、調べて初めて知ったことがあります。この歌には二つの版があります。

万葉集に載っている原歌は「春過ぎて 夏来たるらし 白栲の 衣干したり 天の香具山」。「衣干したり」、つまり衣が干してある、と目の前の景色を言い切っています。

一方、百人一首に採られた形は「衣ほすてふ」。「てふ」は「と言う」がつづまった言い方で、衣を干すという(そういう山だ)、と伝聞の形になっています。目の前の景色を詠んだ歌が、後の時代には「香具山といえば白い衣、と昔から言われている」という様式化された歌に変わっているんですね。

私はこの差を知って、百人一首版のほうを歌うことにしました。理由は単純で、こちらのほうが圧倒的に多くの人に知られているから。そしてもう一つ、「てふ」を「ちょう」と正しく発音して歌う、ということ自体が、この歌を今の音楽にする面白さだと思ったからです。表記は「てふ」、発音は「ちょう」。この歴史的仮名遣いの読みが、生成AIに歌わせるときの最初の関門になりました。

白い衣は何だったのか

歌の中の「白妙の衣」が何を指すかには、いくつかの説があります。

一つは、初夏の衣替えで、冬物から夏物に替えた衣を洗って干した、という実際の衣料説。「白妙」は「白栲」とも書いて、楮(こうぞ)の樹皮の繊維で織った白い布のことです。奈良時代には実際の衣の素材でもあったので、万葉集では衣や袖にかかる枕詞としてよく使われています。

もう一つは、香具山が神聖な山なので、干されているのは神事に使う衣ではないか、という説。さらに、白い衣というのは実際の布ではなく、麓に咲く卯の花(ウツギ)を衣に見立てたのだ、という説もあります。

どれが正しいかは、私には決められません。ただ、作品にするときには一つを選ばないといけない。私は「実際に干された白い布」を採りました。三つの掟の一つに「迷ったら、自然の中での人の営みが映っているかで決める」というのがあって、山の斜面に人の営みが白く点々と見える、という景色が、一番この掟に素直だったからです。

布を干すという営み

一つ選んだあとで、もう少し考えてみたくなったことがあります。歌の中の人は、何をしていたのか。

「白妙」は楮の樹皮の繊維で織った布で、奈良時代には実際の衣の素材だったそうです。楮は山に生える木です。山の木の皮から糸を取り、布に織り、洗って、山の見えるところに干す。歌の中の白い点々は、そういう一続きの営みの、最後の場面なのだと思います。自然の中で人が暮らしていて、その暮らしの一場面が、季節の目印になっている。

そう思って読み直すと、この歌にはまだ調べきれていないことが残っています。衣替えという習慣は、海外から見ると特徴的なものなのか。布を外に干して日に晒すことが、当時、夏の合図として意識されていたのか。今回はここまで手が回りませんでした。この記事は版を重ねるつもりなので、分かったら書き足します。

私がこの歌から受け取ったもの

歌を作るために何度も読んでいて、だんだん分かってきたのは、この歌が「気づき」の歌だということでした。

春が過ぎて夏が来た、と気づく。何によって気づいたかというと、山に干された白い布によってです。カレンダーではなく、暦の上の立夏でもなく、誰かが衣を干している、その白さで季節を知る。人の営みが、季節の目印になっている。

これは、今の私たちの暮らしにも残っている感覚だと思います。ベランダに白いシャツが並ぶ朝、ああ、もう夏だなと思う。1300年前の持統天皇と、同じ「気づき方」をしている。歌の言葉は古いけれど、感覚のほうは全然古くない。そこが、この歌を最初の一首に選んだ理由でもあります。

ここで、盤を裏返してみてください。B面、返歌です。

返歌を作るときに考えたこと

一首一景では、一つの歌を一枚のレコードのように、表と裏の二曲にしています。表(A面)は原歌の世界に寄せた「本歌」、裏(B面)は同じ場所の今から歌い返す「返歌」です。

本歌は、雅楽の笙や龍笛の響きを借りた、静かな朝の歌にしました。サビは原歌そのままで、その前に現代語で4行、都の朝に東の山を見ている持統天皇の目線を置いています。

返歌のほうは、ガールズポップにしました。衣替えの朝、まっしろなシャツをベランダの風にひろげたら、山が「もう夏だよ」と言った。千三百年、おなじ空。そういう歌詞です。この歌の「気づき」の構造を、そのまま今の生活に移したかったんですね。ジャンルを明るいポップにしたのは、この歌の感情が「もう夏なんだ」という小さな明るさだからです。

作っていて一つ、小さな失敗がありました。返歌の歌詞に「衣替え」と書いたら、AIが「いがえ」と歌ってしまったんです。訓読みの複合語は、漢字で渡すと読みが揺れる。「ころもがえ」とひらがなで書き直して、作り直しました。「てふ」を「ちょう」と歌わせる話と同じで、正しい読みで歌われることは、この企画では譲れない一線です。読みを間違えた音源は、作品として成立しないと思っています。

縦長の返歌象徴画像 返歌の縦長版

最初に見せた人の反応

できた二曲を、最初に妻に見せました。返ってきた言葉を、そのまま書いておきます。

なんとなく知っている古い歌の、一つ一つの言葉の意味を、A面で初めて景色として感じた。B面で「衣替えのことだったんだ」と現代に置き直されて、遠い昔の歌がとても身近なものに感じられた。

私が作りながら感じていたことを、見た人が同じ順番で追体験してくれた。本歌で言葉が景色になり、返歌で景色が自分の暮らしになる。この二曲を分けて作る形は、最初から決めていたのではなく、作っているうちにそうなったものですが、この反応で、これでいいのだと思えました。

まだ分かっていないこと(教えてください)

考証は、仮説として版を打って公開する、というのがこの企画のやり方です。今回、調べても決められなかったことを、正直に書いておきます。

このあたり、詳しい方がいらしたら、ぜひ教えてください。次の版で直します。

出典

調査に使ったページです。読みや解釈の情報は、できるだけ原文サイトや辞典で裏を取るようにしましたが、AIによる要約を経由しているものもあります。正確な引用が必要な方は原ページをご確認ください。

挿絵は、すべてこの企画のために生成AI(OpenAI Codex CLI 組み込みの画像生成)で制作したものです。楽曲は Suno v6、構成と編集は Claude Code を使っています。


えいわ|一首一景 #02 2026年9月 v2

えいわ一首一景
SIDE A 本歌
春過ぎて夏来にけらし

企画編集:篠崎裕介(しのジャッキー) 生成AI使用:音楽 Suno v6/画像 Codex/編集 Claude Code
EIWA-002 v1
#えいわ一首一景